なぜこの島が「伊吹」なのか およそ1200年前の話。波間に漂っていた不思議な光を放つ木をもとに、薬師如来、聖観音の秘像、その他多くの仏像が刻まれ、安置されていたと言われています。この光を放つ木は、不思議な木と言う意味で「異木」と名付けられ、そこから異木島と名付けられました。その後、異木が訛って「伊吹」となり、伊吹島と呼ばれるようになりました。 平安の名残を感じられる独特の方言 「じょうほる」は魚をさばくこと、「いごく」は動くことなど、伊吹島の言語は独特の特徴を持ちます。古語に属する方言や特殊な敬語が使われ、平安時代のアクセントが残っています。言語学上貴重な島であることから、国語学者の金田一春彦先生も二度、伊吹島を訪れました。その際に詠んだ歌は歌碑に刻まれ、建立されています。 江戸の地割が残る道路道 伊吹の港から集落まで急な坂を上り、島の集落を歩くと、細い道がくねくねと伸びています。まるで迷路のような構造をした道の作り方。これは、「道が江戸時代の地割のまま」であるためです。路地を曲がるたびに変わりゆく昔ながらの景色からは、風情が感じられます。 昭和45年まで使われていた出部屋 伊吹島では、出産は各家でおこない、その日の内もしくは翌日に出部屋という施設に入ります。そして30日間だけ、母子だけで別火の生活をしていました。赤は不浄、家の中が穢れるという古代からの日本の風習で昭和45年頃まで使用されていました。今では考えられない生活風習ですが、母子の健康を考える上での昔の人の知恵だったのかもしれません。