島の人々によって作られた史跡

伊吹八幡神社

伊吹八幡神社は西暦1124年に創建されました。明治14年に再建された大鳥居、尾道の石工が作り上げた狛犬、本殿前の大坂で作られた狛犬、本殿には木製の狛犬もいます。島の道は狭い所が多いものの、ちょうさの通る道は江戸時代より造られた広い道です。昔は祭りの前日に、「道造り」と言って若い衆によって掃き掃除をし、清められていました。今でも春の百手祭り、夏の神楽、秋の大祭と江戸時代より伝統行事が受け継がれています。

大師堂

大師堂には弘法大師が祀られています。現在でも島四国の際には、大勢の参拝客が足を運んでいます。

波切不動尊

島の北端の断崖に祀られたお不動さん。島の人たちには、お不動さんという愛称で呼ばれ、親しまれています。また、ここは桜の名所でもあり、桜まつりが開催が開催されます。

荒神社・西の堂

夏に夜神楽というお祭りが行われる荒神社。その横に西の堂はあります。西の堂は、島の人から「おこじ」と呼ばれており、文化5年(1808年)に造られた「ちょうさ」を保管している太鼓蔵があります。飲み水にも苦労した江戸時代、おこじには井戸が掘られ、多くの人が水を求めに来ていました。またおこじは、江戸時代より泉蔵院から島の周囲を回る島四国(しましこく)という地四国(民間信仰)の場所の一つです。春の島四国では、島外からもたくさんの人がお参りをされ、おこじはその島四国の最終地点です。島四国の最終地点である、おこじの下にある広い道を下って行けば、真浦の港へ着きます。

泉蔵院

民俗資料館から北へ少し歩くと、天神さんの社のすぐ横に泉蔵院はあります。正式名称は、真言宗大覚寺派七宝山泉蔵院というお名前。西暦1124年に開山と、歴史はとても古いです。この建物は何回か火災にあってしまい、古文書類は紛失してしまいました。ただし、境内には古いお墓が多く残っています。島は以前まで土葬でしたが、土葬した墓から洗骨した骨を境内の墓に入れ、拝み墓としています。島の人は信仰が厚く、新盆には全国各地よりお墓参りにたくさんの人が帰省します。

大自然が作り上げた史跡

合戸の穴

合戸の穴 合戸の穴(ゴウトウのアナ)は北浦に存在します。戦時中は油、火薬の保管庫として利用されており、中はとても広いです。海賊、もしくは強盗が一時的に住んでいた洞窟と言われています。昔は強盗のことを、ガンドウと言っていたため、言葉がなまり、合戸と呼ばれるようになったそうです。

石門

海水の浸食によってつくられた石の門です。島の北端にあり、ぽっかりとあいた穴は水軍の船出場所だったなど、古い伝説が残ります。

伊吹の歴史が感じられる生活様式

出部屋

伊吹島では、出産は各家でおこない、その日の内もしくは翌日に出部屋という施設に入ります。そして30日間だけ、母子だけで別火の生活をしていました。赤は不浄、家の中が穢れると言う古代からの日本の風習で昭和45年頃まで使用されていました。月経の女性も泊りに行っていたそうです。今では考えられない生活風習ですが、母子の健康を考える上での昔の人の知恵だったのかもしれません。実際、北浦の港を見下ろせる眺めの良い静かな環境が整っています。

現在は出部屋跡地に瀬戸内国際芸術祭2019で制作された「伊吹の樹」が設置されています。

秋祭り

毎年9月の下旬に五穀豊穣と無病息災を祈念して開催される地元でも有名なお祭りです。200年以上の歴史があり、「ちょうさ」と言う神輿を担いで島内を練り歩きます。また八幡宮においては迫力満点のかきくらべが行われ、訪れた人達から盛大な声援が巻き起こります。

伊吹の史跡・民俗をより詳しく知りたいなら

伊吹民俗資料館

元々幼稚園だったものを、平成4年に島民の協力のもと手造りで民俗資料館としました。昔の漁具、民具、文書等、貴重なものが多く展示されており、伊吹島の歴史を感じるならばここが一番です。入館は無料ですので、いつでもお越しください。